大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)276号 判決 1984年9月28日
第一事件原告・第二事件被告(以下「原告」という。)
蓮華寺
右代表者代表役員
早瀬義雄
右訴訟代理人
宮川種一郎
松本保三
松井一彦
中根宏
猪熊重二
桐ケ谷章
八尋頼雄
福島啓充
若旅一夫
漆原良夫
小林芳夫
今井浩三
大西佑二
堀正視
春木實
川田政美
吉田孝夫
稲毛一郎
(第二事件に限る。)
松村光晃
第一事件被告・第二事件原告(以下「被告」という。)
久保川法章
右訴訟代理人
中安正
片井輝夫
弥吉弥
小見山繁
山本武一
小坂嘉幸
江藤鉄兵
富田政義
川村幸信
山野一郎
沢田三知夫
河合怜
伊達健太郎
(第二事件に限る。)
竹之内明
主文
一 被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。
二 被告の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、すべて被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
(第一事件)
一 原告の請求の趣旨
1 主文第一項と同旨
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する被告の答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
3 仮執行免脱宣言
(第二事件)
一 被告の請求の趣旨
1 被告が原告の代表役員及び責任役員の地位にあることを確認する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する原告の答弁
1 主文第二項と同旨
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
第二 当事者の主張
(第一事件)
一 原告の請求原因
1 原告は、別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有している。
2 被告は、本件建物を占有している。
3 よつて、原告は、被告に対し、所有権に基づき、本件建物の明渡しを求める。
二 請求原因に対する被告の認否請求原因1及び2の事実は認める
三 被告の抗弁
1 宗教法人日蓮正宗(以下「日蓮正宗」という。)
日蓮正宗は、宗祖日蓮大聖人の立教開示の本義たる弘安二年の戒壇の本尊を信仰の主体とし、法華経及び宗祖遺文を所依の教典として、宗祖より付法所伝の教義をひろめ、儀式行事を行い、広宣流布のため信者を教化育成し、寺院及び教会を包括し、その他この宗派の目的を達成するための業務及び事業を行うことを目的とする宗教法人であり、法規として日蓮正宗宗制(以下「宗制」という。)及び日蓮正宗宗規(以下「宗規」という。)を有している。
2 原告
原告は、宗制に定める宗祖日蓮所顕十界互具の大曼荼羅を本尊として、日蓮正宗の教義をひろめ、儀式行事を行い、広宣流布のため信者を教化育成し、その他正法興隆、衆生済度の浄業に精進するための業務及び事業を行うことを目的とする宗教法人であり、日蓮正宗に包括され、宗教法人蓮華寺規則(以下「蓮華寺規則」という。)を有している。
3 原告の代表役員及び住職に関する規定
(一) 蓮華寺規則八条一項は、「代表役員は、日蓮正宗の規程によつて、この寺院の住職の職にある者をもつて充てる。」と定め、また、同規則一〇条は、「代表役員は、この法人を代表し、その事務を総理する。」と定める。
(二) そして、日蓮正宗の規程である宗規一七二条は、「住職及び主管並びにそれらの代務者は、教師のうちから管長が任命する。」と定める。
(三) したがつて、日蓮正宗の教師の資格を有する僧侶で日蓮正宗の管長によつて原告寺院の住職に任命された者は、原告の代表役員に就任し、原告を代表するとともに、その事務を総理する権限を有する。
4 被告の代表役員への就任
日蓮正宗の教師の資格を有する僧侶であつた被告は、昭和四〇年一〇月二二日、日蓮正宗の管長により、原告寺院の住職に任命され、これによつて、原告の代表役員に就任した。
5 本件建物の占有権原
被告は、原告の代表役員として原告の事務を総理する権限に基づき、また、原告の代表役員から本件建物の管理を委任された住職として、昭和四〇年一一月初めころ、本件建物の占有を始めた。
四 抗弁に対する原告の認否
抗弁事実はいずれも認める。
五 原告の再抗弁
1 懲戒処分に関する規定
日蓮正宗における懲戒処分に関する定めは、次のとおりである。
(一) 宗規二四四条 懲戒の種目を左の五種とする。
五 擯斥 僧籍を削除し、本宗より擯斥する。
(二) 宗規二四九条 左に掲げる各号の一に該当する者は擯斥に処する。
四 本宗の法規に違反し、異説を唱え、訓戒を受けても改めない者
(三) 宗規一五条 管長は、この法人の責任役員会の議決に基づいて、左の宗務を行う。但し、本宗の法規に規定する事項に関してはその規定による手続きを経なければならない。
七 僧侶、檀徒、信徒に対する褒賞及び懲戒並びに懲戒の減免、復級、復権又は僧籍の復帰
(四) 宗規二五一条 褒賞及び懲戒は、総監において事実の審査を遂げ、管長の裁可を得てこれを執行するものとする。
(五) 宗規二五三条 懲戒は、管長の名をもつて宣告書を作り、懲戒の事由及び証憑を明示し、懲戒条規適用の理由を附する。
(六) 宗制三〇条 参議会は、代表役員より諮問された左に掲げる事項について審議し、答申する。
二 褒賞及び懲戒に関する事項
2 懲戒処分権者
(一) 宗規一三条二項は、「管長は、法主の職にある者をもつて充てる。」と定めている。したがつて、日蓮正宗においては、法主の地位に就くと、当然に管長に就任することになる。
(二) 日蓮正宗における法主の資格ないし地位の承継に関する準則は、次のとおりである。
(1) 不文の準則
日蓮正宗においては、法主は、本仏たる宗祖の「内証」(仏が悟つた宇宙の根源の法理)を代々承継し、宗派を統率し、教義の解釈、裁定を行い、かつ、本尊を書写し、本尊として下付する権能を有する宗教上の最高権威者として、高い尊崇を受けてきた。右のような法主の有する宗教上の特別な力ないし権能を次の法主に承継させる行為を「血脈相承」という。そして、代々の法主から血脈相承を受けた者のみが法主となる資格を有し、また、法主又はその経験者のみが血脈相承を授けることができるということが、日蓮正宗の教義であり、信仰である。ただ、血脈相承を受けた者が直ちに法主に就任するか否かは、血脈相承を授けた当代法主の裁量によるとされている。
血脈相承の方法は、教義上、次のように説明されている。
(イ) 唯授一人
唯授一人とは、法主がその後継者に血脈相承を授けるに当つては、授けるにふさわしい者一人を選んで授けることをいう。
(ロ) 口伝
宗祖からの代々の血脈相承は、「口伝相承」によりされてきた。口伝相承とは、口頭で伝えることを意味する。
(ハ) 秘伝
血脈相承は、その具体的内容もその具体的行為も秘密とされている。
(2) 現行の成文規定
(イ) 宗規二条は、「本宗の伝統は、外用は法華経予証の上行菩薩、内証は久遠元初自受用報身である日蓮大聖人が、建長五年に立宗を宣したのを起源とし、弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、二祖日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の付嘱状により宗祖の血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。」と定めている。
右規定は、宗祖の悟つた仏法が血脈相承によつて第二祖日興上人に承継され、以下断絶されることなく代々の法主に血脈相承によつて承継されているとの日蓮正宗の教義、信仰を表明したものである。要するに、日蓮正宗における宗祖の仏法は、血脈相承によつてのみ、また、血脈相承を受けた法主にのみ伝承されるということである。
(ロ) 宗規一四条
一項は、「法主は、宗祖以来の唯授一人の血脈を相承し、本尊を書写し、日号、上人号、院号、阿闍梨号を授受する。」と定めている。右規定は、「宗祖以来の唯授一人の血脈相承」を受けた者のみが、法主の資格を有し、権能を持つことを定めている。
二項は、「法主は、必要を認めたときは、能化のうちから次期の法主を選定することができる。但し、緊急やむを得ない場合は、大僧都のうちから選定することもできる。」と定めている。右規定は、次期法主の決定が当代法主の専権であることを表現したものである。当代法主は、血脈相承によつて次期法主を選定する。「必要を認めたとき」とあつて、「退任しようとするとき」と表現していないのは、血脈の不断に備えて、法主が適切と認めたとき、予め血脈相承によつて次期法主を選定しておくべきことを前提にしている。被選定者の僧階資格については、能化を原則として、大僧都以上ならばよいことを定めている。「緊急やむを得ない場合」かどうかは法主の裁量による。血脈相承を受けた次期法主の法主就任時期については何ら触れられていないが、当代法主の裁量によるものであり、任意の退任又は遷化の時である。
三項は、「法主がやむを得ない事由により次期法主を選定することができないときは、総監、重役及び能化が協議して、第二項に準じて次期法主を選定する。」と定めている。右規定は、血脈の不断に備えた前法主がいることを前提にしている。当代法主がやむを得ない事由により次期法主を選定することができないときは、前法主が血脈相承を授けるが、その際、前法主は、総監、重役及び能化の意見を徴すべきことを定めたものである。
四項は、「次期法主の候補者を学頭と称する。」と定めている。右規定は、当代法主の候補者を定めた場合の規定である。学頭を設けるか否かは法主の裁量による。
五項は、「退職した法主は、前法主と称し、血脈の不断に備える。」と定めている。右規定は、前記三項の趣旨を前法主の側から定めたものである。
(三) ところで、日蓮正宗の法主であつた細井日達(以下「日達」という。)は、昭和五三年四月一五日、大僧都であつた阿部日顕(以下「日顕」という。)に血脈相承を授け、同人を次期法主に選定した。そして、日達は、昭和五四年七月二二日遷化し、これに伴い、日顕は、法主に就任し、同時に管長に就任した。
3 被告が日蓮正宗の法規に違反し異説を唱えた事実
(一)(1) 被告は、蓮華寺寺報「仏生」の昭和五五年一二月一日付第一八号において、「究極の御本尊」と題して「私達の御本尊は勿論、戒壇の大御本尊と雖も即久遠元初の自受用報身如来であると断定するわけにはいきません。」、「要するに私達が真に究極の本尊として拝するのは凡眼に写らぬ大聖人の魂であり」などと論じた。
(2) また、右「仏生」の昭和五六年一月一日付第一九号によれば、被告は、南近畿法華講大会において、「今まで宗門の多くの人々は、血脈相承は法主の上にのみ伝えられて来たと考えておりましたが、これは明らかに間違いであります。」と述べ、更に、小冊子「正信会報」第六号においても、被告は、「正宗には法主より法主へ直接に断絶もなく、唯授一人金口嫡々相承されてきた、などという神秘的なものなどない。」と論じた。
(二) しかしながら、被告の右各所説は、次に述べるとおり、日蓮正宗の法規に違反する異説である。
(1) 日蓮正宗の本尊観
日蓮正宗においては、「根本として尊敬するもの」を「本尊」といい、それは、「信仰の根本対象」であると説明されている。そして、日蓮正宗においては、宗祖日蓮大聖人を宇宙の根源の法理を自ら悟つた三世常住の本仏(「久遠元初の自受用報身如来」)と仰ぎ、宗祖が弘安二年一〇月一二日にその悟りを自ら図顕した曼荼羅を「戒壇の本尊」として信仰の根本対象にしているのであるが、右「戒壇の本尊」は、「久遠元初の自受用報身如来」の当体であつて、日蓮大聖人の生命と同等の宗教的価値を有するものとされている。すなわち、日蓮大聖人は「人本尊」とされ、「戒壇の本尊」は「法本尊」とされ、両者は一応区別されてはいるが、「人法一箇」、すなわち、宗教的には両者は一体のものであるというのが、日蓮正宗の教義であり、信仰である。
日蓮正宗の本尊に関する右教義及び信仰は、日蓮正宗の宗制、宗規上次の法規に表れている。すなわち、宗規二条は、「本宗の伝統は、外用は法華経予証の上行菩薩、内証は久遠元初自受用報身である日蓮大聖人が、建長五年に立宗を宣したのを起源とし、弘安二年本門戒壇の本尊を建立して、宗体を確立し」と定め、また、宗規三条は、「本宗は、宗祖所顕の本門戒壇の大曼荼羅を帰命依止の本尊とする。」と定めている。
(2) 日蓮正宗の血脈相承観
前記のとおり、日蓮正宗においては、法主の有する宗教上の特別な力ないし権能を次の法主に承継させる行為を血脈相承といい、血脈相承は、教義上、唯授一人、口伝及び秘伝の方法によつてされると説明されている。
そして、血脈相承は、あたかも父から子へと血統が受け継がれていく姿にたとえて、宗祖の遺した仏法の一切が中断することなく、いささかも変えられることなく、そのまま代々の法主に承継されることを意味する。
血脈相承に関する以上の教義及び信仰は、前記宗規二条及び同一四条に表れている。
(3) 宗規一五条は、管長は責任役員会の議決に基づいて教義に関して正否を裁定する旨定めているところ、日蓮正宗の管長である日顕は、昭和五六年一月一五日、責任役員会の議決に基づき、前記(一)(1)の被告の所説は日蓮正宗における「人法一箇」の教義及び信仰を否定するとともに「戒壇の本尊」を否定する異説である旨、前記(一)(2)の被告の所説は宗祖日蓮大聖人以来歴代法主に血脈が連続して相承されているという教義及び信仰並びに血脈相承が唯授一人、口伝及び秘伝の方法によつてされるものであるという教義及び信仰を否定する異説である旨の裁定をした。
そして、前記のとおり、日蓮正宗の本尊に関する教義及び信仰は宗規二条及び同三条に表れ、血脈相承に関する教義及び信仰は宗規二条及び同一四条に表れているのであるから、被告の右各所説は、これらの法規に違反するものである。
4 被告が訓戒を受けても改めなかつた事実
日蓮正宗責任委員会は、昭和五六年一月一五日、被告の前記各所説について、宗務院が被告に訓戒をすることを議決した。
そこで、宗務院総監藤本栄道は、被告に対し、同年一月二一日に被告に到達した「訓戒」と題する書面により、被告の前記各所説は異説である旨の指摘をするとともに、右異説を改め、日蓮正宗の教義に立ち還り、日顕法主の指南に従うよう訓戒した。
ところが、被告は、右総監に対し、同年一月二六日付「答弁書」と題する書面を送付し、同書面において、前記各所説を改めない旨の回答をした。
5 本件懲戒処分
日顕は、藤本栄道総監による事実の審査及び昭和五六年一月二九日の参議会の答申を経て、同年二月三日の責任役員会の議決に基づき、被告を右3及び4の事由により擯斥処分に付することを裁可し、その旨の宣告書を作成し、これを被告に送付し、右宣告書は、同年二月一〇日被告に到達した。
6 占有権原の喪失
蓮華寺規則九条一項は、「代表役員の任期はこの寺院の住職の在職中とする。」と定めており、また、原告寺院の住職であるためには、日蓮正宗の僧侶でなければならないところ、被告は、本件懲戒処分により、日蓮正宗の僧侶の地位を喪失し、そのため、原告寺院の住職たる地位を喪失するとともに原告の代表役員たる地位をも喪失した。したがつて、被告は、本件建物の占有権原を喪失した。
7 裁判所の審判権
(一) 本件懲戒処分の効力について判断する場合、次の二つの側面を検討する必要がある。その第一は、団体自律権の側面であり、その第二は、信教の自由の側面である。
(二) 団体自律権
憲法二一条は、結社の自由を保障しているところ、結社の自由の保障は、団体自律権の保障を内包しているというべきである。そして、私的団体の懲戒処分は、団体自律権の発動の一態様であるから、その効力は十分に尊重されなければならず、それが国法秩序のうえから是認できないものではないかぎり、有効なものとして扱わなければならない。
右に述べた団体自律権の尊重という法的要請は、具体的訴訟の場において、まず立証責任の適正な分配という観点を通じて実現され、私的団体内における懲戒処分の効力が争われたときは、これを争う被処分者の側が無効事由の主張立証責任を負うことになり、また、懲戒処分の無効事由として主張しうる瑕疵も国法秩序のうえから是認することのできない事由に限定されることになる。
そして、宗教団体の場合は、憲法二〇条によつても宗教的結社の自由が保障されるのであるから、団体自律権が一層強固かつ広範に認められるべきである。
(三) 信教の自由
憲法二〇条は、信教の自由を保障し、政教分離の原則を定めている。
政教分離の原則の結果、裁判所は、宗教上の教義の解釈や信仰上の価値判断をすることができない。
また、信教の自由の保障の最大の眼目は、宗教団体に国家の干渉を受けずに自由に団体内部の事項を決定しうる権利を保障することにある。
したがつて、教義及び信仰に関する事項が請求の当否を決するについての前提問題である場合、裁判所は、教義及び信仰の内容に立ち入つた審判をすることは許されず、当該宗教団体が自治的に決定した内容を基礎として判断すべきである。
(四) そして、日顕が管長でないこと及び被告に処分事由が存在しないことは、本件懲戒処分の無効事由であるから、さきに述べたとおり、被処分者である被告において主張、立証すべきである。
(五) ところで、被告の前記各所説が日蓮正宗の教義に反する異説であるか否かは、まさに日蓮正宗の教義の解釈に関する問題である。
また、日顕が日蓮正宗の法主であるか否かも次のとおり、日蓮正宗の教義及び信仰に関する問題である。
(1) 日蓮正宗においては、法主は、宗祖の仏法の精髄(「内証」と「戒壇の本尊」とがその中核となる。)を代々承継し、宗派を統率し、教義の解釈及び裁定を行い、かつ、本尊を書写し、本尊として下付する権能を有する宗教上の最高権威者として、高い尊崇を受けている。
(2) ところで、宗教団体の宗祖は、普通の人間が持たない特別の力ないし権能を体得している者として、それを承認する人々によつて信奉される存在である。このような宗祖の力ないし権能は、社会学者が「カリスマ」と呼ぶところのものであり、多くの宗教においてひろく見られる宗教に特有の現象である。そして、宗祖とその信奉者とが宗教団体を形成するようになると、その永続性を確保するために、宗祖の地位の承継という現象が生じ、それは、宗祖の有するカリスマの承継と結びついて行われる。その場合、カリスマの承継のために特殊な儀式ないし行為が行われるのを常とする。
(3) 右の理は、日蓮正宗においても同様である。すなわち、日蓮正宗においては、前記のとおり、法主になるためには血脈相承を受けることが要件とされているところ、血脈相承は、宗祖の仏法の精髄を承継する特別の宗教上の行為であり、代々の法主は、血脈相承により宗祖に連なる者として、前記の特別な権能を有するものとされる。
また、宗祖の仏法の精髄は血脈相承によつてのみ代々の法主に承継されること及び宗祖の仏法の精髄の断絶はありえないことは、日蓮正宗の教義及び信仰であるから、血脈相承も断絶することはありえないことは、日蓮正宗における教義、信仰上の絶対的要請である。
このように、血脈相承及び法主の地位は、日蓮正宗の教義及び信仰の根幹をなすものであつて、日顕が血脈相承を受けて法主に就任したか否かは、日蓮正宗の各構成員が信仰上覚知したか否かに帰着し、世俗的な判断基準によつて判断することが不可能である。
(4) しかも、前記のとおり、血脈相承が秘伝であることは、日蓮正宗の教義及び信仰である。したがつて、この点からも、血脈相承の内容や存否を世俗的な判断基準によつて判断することは許されない。
(六) そうすると、被告が、本件懲戒処分の無効事由として、日顕は日蓮正宗の法主でなく、したがつて、管長でもないこと及び被告の所説は日蓮正宗の教義に反する異説でないことを主張しても、それは、裁判所に教義及び信仰の内容に立ち入つた判断を求めるものであるから、法的に意味のない主張というべきであり、主張自体失当として排斥すべきである。
(七) 仮に日顕が懲戒処分権者であること及び被告の所説が異説であることについて、原告に主張立証責任があるとしても、
(1) 日蓮正宗において、日顕が前法主日達から血脈相承を授けられ法主に就任したことは、次のとおり自治的に決定されている。
(イ) 日達の遷化の当日である昭和五四年七月二二日午前一一時一〇分より、日蓮正宗総本山大石寺において緊急重役会議が開催され、その席上、日顕は、日達から昭和五三年四月一五日血脈相承を授けられたことを発表し、そこに出席していた椎名法英(当時重役)、早瀬日慈(能化)、藤本栄道(当時庶務部長)ら全員は、右発表を謹んで拝承し、日顕に対し、信伏随従を誓つた。
同日午後七時より、総本山大石寺において、宗内のほとんどの僧侶が参加して、日達の御密葬及び御通夜の儀が営まれたが、その席上において、椎名重役は、日顕が血脈相承を受けたことを披露し、出席者一同は、謹んでこれを拝承した。また、同日付及び翌日付の各院達によつて、日顕の法主及び管長への就任が宗内に発表された。
同年八月六日、総本山大石寺において、宗内僧侶及び信者の代表が参加して、日顕の御座替式(法主就任儀式)が行われ、引き続いて、総監、重役、能化全員及び宗会議長をはじめとする宗内の主だつた僧侶と信者の代表とが参加して、御盃の儀(新法主の登座を祝うとともに新法主と師弟の契りを結ぶ儀式)が行われた。
日顕は、同年八月二一日、宗内全僧侶に対し、日顕が日達より血脈相承を受け日蓮正宗第六七代法主及び管長の職に就いた旨並びに宗内僧侶及び信者全員の協力と一致団結とを求める旨の訓諭(管長が一宗を嚮導するために発する達示で、宗内では最も重要な指南)を発した。
昭和五五年四月六日及び七日の両日、総本山大石寺において、全僧侶及び多数の信者が参加して、御代替奉告法要が行われ、日顕の法主就任が宗祖日蓮大聖人に奉告された。
(ロ) 日顕は、昭和五四年七月二二日以来、本尊の書写をはじめとする法主としての職務、住職などの任免をはじめとする管長としての職務及び法人の代表役員としての職務を広範に行つてきたが、一年以上もの間、被告を含む何人からも、また、宗内のいかなる機関からも、右のことに対し異議を唱えられたことはなかつた。
(ハ) 被告が日顕の法主就任を否定した後も、日蓮正宗の僧侶及び信者の大部分は、日顕を法主と仰ぎ、これに異を唱える者を異説、異端の者として扱うに至つた。
(2) また、日蓮正宗において、管長は教義に関して正否を裁定する権限を有しているところ、管長である日顕は、被告の前記各所説が異説である旨の裁定をした。
(3) 右(1)、(2)のとおり、日蓮正宗は、日顕が前法主日達から血脈相承を授けられ法主に就任したこと及び被告の前記各所説が異説であることについて、自治的に決定したのであるから、裁判所は、右自治的決定を基礎として判断すべきである。
六 再抗弁に対する被告の認否及び反論
1 再抗弁1の事実は認める。
2 再抗弁2の事実について
(一) 再抗弁2(一)の事実は認める。
(二) 再抗弁2(二)の事実のうち、日蓮正宗においては、法主は、本仏たる宗祖の内証を代々承継し、宗派を統率し、教義の解釈、裁定を行い、かつ、本尊を書写し、本尊として下付する権能を有する宗教上の最高権威者として、高い尊崇を受けてきたこと、右のような法主の有する宗教上の特別な力ないし権能を承継させる行為を「血脈相承」ということ、宗規上血脈相承が日蓮正宗の伝統とされていること、血脈相承は、原告主張の方法によつてされるという伝統が存在すること並びに宗規二条及び同一四条の文言が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は否認する。
日蓮正宗における法主選任行為の準則は、宗規一四条二項及び三項により定められている。すなわち、
(1) 宗規一四条二項は、当代法主が次期法主を選定するという選任準則を定めたものである。この規定により次期法主が選定されたときは、そのときに法主の地位が交替する。被選定者の僧階資格については、緊急やむを得ない場合を除き、能化に限られている。
ところで、当代法主による次期法主の右選任行為を「血脈相承」ということがある。しかしながら、「血脈相承」という言葉は、次の三つの意義で使用される。第一は、信仰上の血脈相承であり、日蓮大聖人が悟つた仏法の一切が代々の法主に承継されていることを意味する。第二は、宗教儀式としての血脈相承であり、次期法主を権威づけるための儀式行為を意味する。第三は、法主選任行為を意味する血脈相承であり、法主選任という組織法上の効果をもたらす意思表示をいう。宗規一四条二項の選定行為は、右第三の意味における血脈相承であり、他の意味の血脈相承とは区別して考えるべきである。
(2) 宗規一四条三項は、法主がやむを得ない事由により次期法主を選定することができないとき、総監、重役及び能化が協議により次期法主を選定するという選任準則を定めたものである。この場合の被選定者の僧階資格も、宗規一四条二項と同じ限定がつけられている。
(三) 再抗弁2(三)の事実のうち、昭和五三年四月一五日当時日達は日蓮正宗の法主であり、日顕は大僧都であつたこと、日達は昭和五四年七月二二日遷化したことは認めるが、その余は否認する。
3 再抗弁3の事実について
(一) 再抗弁3(一)の事実は認める。
(二) 再抗弁3(二)の事実について
(1) 冒頭部分の主張は否認する。
仮に被告の前記各所説が日蓮正宗の教義に反するとしても、擯斥は、他の懲戒処分と異なり、僧籍を削除するものであつて、被処分者の生活権をも脅かす重大な処分であるから、擯斥事由としての「異説」は、宗制及び宗規の規定する宗綱に明らかに違反し、対立する内容をもつ所説をいうものと解すべきであり、被告の前記各所説は、日蓮正宗の宗綱を是認したうえでの議論であり、擯斥事由としての「異説」には該当しない。
(2) 再抗弁3(二)(1)の事実は認める。ただし、宗制三条は、「本尊」を「信仰の根本対象」とするのではなく、「信仰の主体」とする旨定めている。また、「戒壇の本尊」は、相貌とともに、その奥にある「正意」、「真理」をも含めて本尊として尊崇されるのである。
(3) 再抗弁3(二)(2)の事実は認める。ただし、原告は、前記三種類の血脈相承を区別しないで主張している。信仰上の血脈相承は、法主と大衆との相互扶助によつて中断することなく今日に至つているのであり、他方、宗教儀式としての血脈相承及び法主選任行為を意味する血脈相承は、中断したことがある。また、儀式としての血脈相承があつたことは公開される。
(4) 再抗弁3(二)(3)の事実のうち、宗規一五条が管長は教義に関して正否を裁定する旨定めていることは認めるが、日顕が日蓮正宗の管長であることは否認し、その余は知らない。
宗規五条二項は、「本宗は、左に掲げる経釈章疏を所依とする。」と定め、経典、宗祖遺文などを挙げているのであるから、管長が教義の正否を裁定する場合も、自由裁量によりできるものではなく、右経典、宗祖遺文などに従う義務がある。
4 再抗弁4の事実のうち、日蓮正宗責任役員会が原告主張の議決をしたことは知らないが、その余は認める。
5 再抗弁5の事実のうち、原告主張の内容の記載された宣告書が昭和五六年二月一〇日被告に到達したことは認め、その余は知らない。
6 再抗弁6の事実のうち、蓮華寺規則九条一項が「代表役員の任期はこの寺院の住職の在職中とする。」と定めていること及び原告寺院の住職であるためには日蓮正宗の僧侶でなければならないことは認めるが、その余は否認する。
7 再抗弁7の主張は争う。
(一) 団体に自律権を認めるということは、団体が公序良俗に反しない限り自由にその内部規則を定め、右規則に従つて運営することを認めることであり、その団体及び団体代表者が右規則を無視することまで認めるものではない。
したがつて、懲戒処分の効果を主張する者は、懲戒規定の存在、被処分者に懲戒事由がある事実及び懲戒権者が懲戒規定に従つて処分をした事実を主張、立証しなければならない。
(二) また、原告は、宗教団体には他の団体よりも自律権が強固かつ広範に認められるべきである旨主張する。しかし、宗教法人は、いわゆる権利能力なき社団などの団体と異なり、団体構成員の全人格的、全生活的関与を必要とする組織であつて、団体構成員に対する懲戒処分を法的に規制する必要性は大きい。しかも、宗教法人法が宗教団体に法人格を認めたのは、宗教団体に権利主体としての地位を認め、宗教目的達成のための財産的基盤及び組織的基盤を与えることに目的があり、懲戒処分などの法人事務について他の法人と区別する理由はない。
(三) 日顕が管長であるか否かは、次のとおり、日蓮正宗の教義及び信仰の内容に立ち入らずに判断することのできる客観的事実である。
(1) 宗教法人法は、宗教団体の宗教的側面については、国家機関の関与を禁止し、反面、宗教法人としての世俗的側面については国法の関与するところとしている。そして、同法は、法人格を付与する前提として宗教団体に代表役員等法人執行機関の資格及び任免等を規則で定めることを義務づけ、右規則を定めた宗教団体に限り法人格を付与することとしている。
(2) ところで、多くの宗教法人は、一定の宗教上の地位にある者が当然に一定の法律上の地位に就任する旨の規則を定めている。この場合、法が、宗教団体の宗教法人としての世俗的側面については国法の関与を認め、宗教法人の代表役員等の資格及び任免を規則で定めることを義務づけている趣旨に鑑みれば、右宗教上の地位の選任準則は右法律上の地位準則でもあると解すべきであるから、右宗教上の地位の選任準則の内容及び右選任準則に基づく選任行為の有無は、世俗的に判断することができるものでなければならない。
宗教上の地位は、その性質上当然に教義的色彩を帯びてくるものであり、その地位の承継も教義的意義づけがされる。しかしながら、法的判断の対象になるのは、法律上の地位の前提となる宗教上の地位の存否であり、そこで要求されるのは、法規範としての宗教上の地位の選任準則の内容及び右選任準則に基づく選任行為の有無である。したがつて、その判断に際し、宗教団体の教義及び信仰の内容に立ち入る必要はない。
右の意味での宗教上の地位の選任準則は、選挙制度(協議制を含む。)、選任権者による選任制度、世襲制度及びこれらの制度の混合形態以外にありえない。
(3) 日蓮正宗における管長たる地位は、法律上の地位であるところ、宗規上、宗教上の地位である法主に就任した者が当然に管長に就任するものとされており、しかも、宗制上、管長に就任した者が当然に代表役員に就任するものとされている。したがつて、法規範としての法主の選任準則が管長及び代表役員の選任準則でもある。そして、法規範としての法主の選任準則は、前記のとおり宗規一四条二項及び三項に定められており、選任権者による選任制及び補完的に協議制が採用されている。また、選任権者である当代法主による次期法主の選任行為を血脈相承ということがあるが、ここで問題となる血脈相承は、法主選任行為としての血脈相承であつて、信仰上の血脈相承とは区別して考えなければならず、日蓮正宗の教義及び信仰の内容には立ち入らないで判断することができる。
したがつて、日顕が管長であるか否かは、日顕が右選任準則に基づいて選任されたか否かを判断すれば足りるのであつて、日蓮正宗の教義及び信仰の内容に立ち入る必要はない。
七 被告の再々抗弁(懲戒権の濫用)
次の1及び2の事情を考慮すれば、本件懲戒処分は、懲戒権の濫用であつて、無効である。
1 被告は、昭和五六年一月二一日、静岡地方裁判所に対し、日顕及び日蓮正宗を被告として代表役員等地位不存在確認請求訴訟を提起した。本件懲戒処分は、右訴訟の提起に対する報復措置としてされたものである。
2 被告は、前記各所説を発表してから本件懲戒処分を受けるまでの間、日蓮正宗から一度の事情聴取もされず、再抗弁4記載の「答弁書」と題する書面によつて求めた話合いの要求も無視された。
八 再々抗弁に対する原告の認否
再々抗弁の主張は争う。
(第二事件)
一 被告の請求原因
1 第一事件の抗弁1及び2に同じ。
2 蓮華寺規則六条は、「この法人には、六人の責任役員を置き、そのうち一人を代表役員とする。」と、同規則八条一項は、「代表役員は、日蓮正宗の規程によつて、この寺院の住職の職にある者をもつて充てる。」と定め、日蓮正宗の規程である宗規一七二条は、「住職及び主管並びにそれらの代務者は、教師のうちから管長が任命する。」と定める。
したがつて、日蓮正宗の教師の資格を有する僧侶で日蓮正宗の管長によつて原告寺院の住職に任命された者が、原告の代表役員及び責任役員に就任することになる。
3 日蓮正宗の教師の資格を有する僧侶であつた被告は、昭和四〇年一〇月二二日、日蓮正宗の管長により、原告寺院の住職に任命され、これによつて、原告の代表役員及び責任役員に就任した。
4 ところが、原告は、被告が原告の代表役員及び責任役員の地位にあることを争つている。
5 よつて、被告は、原告に対し、被告が原告の代表役員及び責任役員の地位にあることの確認を求める。
二 請求原因に対する原告の認否
請求原因1ないし4の事実は、いずれも認める。
三 原告の抗弁
1 第一事件の再抗弁1ないし5に同じ。
2 蓮華寺規則九条一項は、「代表役員の任期はこの寺院の住職の在職中とする。」と定めており、また、原告寺院の住職であるためには、日蓮正宗の僧侶でなければならないところ、被告は、本件懲戒処分により、日蓮正宗の僧侶の地位を喪失し、そのため、原告寺院の住職たる地位を喪失するとともに原告の代表役員及び責任役員たる地位をも喪失した。
3 第一事件の再抗弁7に同じ。
四 抗弁に対する被告の認否及び反論
1 抗弁1の事実に対する認否及び反論は、第一事件の再抗弁に対する被告の認否及び反論1ないし5に同じ。
2 抗弁2の事実のうち、蓮華寺規則九条一項が「代表役員の任期はこの寺院の住職の在職中とする。」と定めていること及び原告寺院の住職であるためには日蓮正宗の僧侶でなければならないことは認めるが、その余は否認する。
3 抗弁3の事実に対する認否及び反論は、第一事件の再抗弁に対する被告の認否及び反論7に同じ。
五 被告の再抗弁
第一事件の再々抗弁に同じ。
六 再抗弁に対する原告の認否
第一事件の再々抗弁に対する原告の認否に同じ。
第三 <省略>
理由
第一第一事件関係
一請求原因1及び2の事実並びに抗弁事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二そこで、再抗弁について判断する。
1 再抗弁1(懲戒処分に関する規定)の事実は、当事者間に争いがない。
2 ところで、原告は、被告が本件懲戒処分により原告寺院の住職たる地位及び原告の代表役員たる地位を喪失した旨主張するとともに、憲法二一条は団体自律権を保障しているので、団体内における懲戒処分の効力が争われたときは、これを争う被処分者の側が無効事由の主張立証責任を負うことになるから、本件懲戒処分をした日顕が懲戒処分権を有しないこと及び被告に処分事由が存在しないことは、被処分者である被告において、本件懲戒処分の無効事由として主張、立証すべきである旨主張する。
そこで、検討するに、憲法二一条が結社の自由を保障しており、結社の自由の保障が団体自律権の保障を内包していることは、原告主張のとおりである。したがつて、団体がその内部規律を維持するため内部規範を定め、これに違反した構成員に対して懲戒処分をすることができることはいうまでもない。しかしながら、団体内における懲戒処分であつても、それが単なる内部規律の問題にとどまらず一般市民法秩序と直接にかかわる場合には、右懲戒処分の効力をめぐる紛争は、法律上の争訟として裁判所の司法審査の対象になるものといわざるをえず、その場合には、懲戒処分の効力を主張する者は、当該懲戒処分が内部規範に定める懲戒処分権の存在、懲戒事由の存在等の懲戒処分の効力発生要件を充足していることを主張、立証すべきであり、憲法二一条が結社の自由を保障しており、これが団体自律権の保障をも内包しているからといつて、原告主張のように懲戒処分の無効を主張する者がその無効事由について主張立証責任を負うものと解することはできない。そして、当該団体が宗教団体である場合にも、信教の自由との関係で裁判所の審判権の及ぶ範囲につき特別の配慮を必要とすることがあることは勿論であるが、懲戒処分の効力発生要件の主張立証責任につき、他の団体と区別する理由は存在しない。
そうすると、本件懲戒処分についても、日顕が懲戒処分権を有すること及び被告に処分事由が存在することについては、原告に主張立証責任があるものといわなければならない。
3 再抗弁2(懲戒処分権者)について
(一) 宗規一三条二項が「管長は、法主の職である者をもつて充てる。」と定めていること、したがつて、日蓮正宗においては、法主の地位に就くと、当然に管長に就任することは、当事者間に争いがない。
(二) ところで、<証拠>によれば、日蓮正宗における法主の地位は、宗教上の地位であることが認められる。
しかしながら、具体的な権利又は法律関係をめぐる紛争の当否を判断する前提問題として特定人につき宗教上の地位の存否を判断する必要がある場合には、その判断の内容が宗教上の教義の解釈にわたるような場合は格別、そうでない限り、その地位の存否、すなわち、選任の適否について、裁判所は審判権を有するものと解するのが相当である(最高裁判所昭和五一年(オ)第九五八号昭和五五年一月一一日第三小法廷判決・最高裁判所民事判例集三四巻一号一頁参照)。
そして、本件第一事件は、被告が日蓮正宗の管長である日顕によつて擯斥処分を受けたことにより本件建物の占有権原を喪失したものとして、原告が被告に対し所有権に基づき本件建物の明渡しを求めるものであるところ、前示のように日蓮正宗においては法主の地位にある者が当然に管長に就任するものとされているのであるから、日顕が法主の地位にあるか否かは、右擯斥処分の効力、ひいては、右請求の当否を判断するについての前提問題をなすものといわなければならない。したがつて、裁判所は、宗教上の教義の解釈にわたらない限りにおいて、日顕が日蓮正宗の法主の地位にあるか否か、すなわち、その選任の適否について、審理、判断することができるものというべきである。
(三) そこで、日蓮正宗における法主選任の手続について検討する。
(1) 宗規一四条二項が「法主は、必要を認めたときは、能化のうちから次期の法主を選定することができる。但し、緊急やむを得ない場合は、大僧都のうちから選定することもできる。」と定めていることは、当事者間に争いがないところ、右条項については、原告は、右条項にいう「選定」は血脈相承という特別の宗教上の行為により行われるものであり、血脈相承を受けた者の法主就任時期は当代法主の任意の退任又は遷化(死亡)の時であつて、また、右条項の「緊急やむを得ない場合」かどうかは法主の裁量による旨主張するのに対し、被告は、右条項にいう「選定」は信仰上の血脈相承及び宗教儀式としての血脈相承とは異なり、法主選任という組織法上の効果をもたらす意思表示を意味し、右選定のあつたときに法主の地位が交替する旨主張するとともに、右条項の「緊急やむを得ない場合」かどうかが法主の裁量によるものであることを否認し、当事者間に解釈上の争いがある。
(2) 日蓮正宗において、法主は、本仏たる宗祖の内証を代々承継し、宗派を統率し、教義の解釈、裁定を行い、かつ、本尊を書写し、本尊として下付する権能を有する宗教上の最高権威者として、高い尊崇を受けてきたこと、右のような法主の有する宗教上の特別な力ないし権能を承継させる行為を「血脈相承」ということ、宗規上血脈相承が日蓮正宗の伝統とされていること、宗規二条が「本宗の伝統は、外用は法華経予証の上行菩薩、内証は久遠元初自受用報身である日蓮大聖人が、建長五年に立宗を宣したのを起源とし、弘安二年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し、二祖日興上人が弘安五年九月及び十月に総別の付嘱状により宗祖の血脈を相承して三祖日目上人、日道上人、日行上人と順次に伝えて現法主に至る。」と定めていること、宗規一四条一項が「法主は、宗祖以来の唯授一人の血脈を相承し、本尊を書写し、日号、上人号、院号、阿闍梨号を授与する。」と定めていること並びに宗規一四条三項が「法主がやむを得ない事由により次期法主を選定することができないときは、総監、重役及び能化が協議して、第二項に準じて次期法主を選定する。」と定めていることは、いずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実と<証拠>とを総合すれば、次の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(イ) 日蓮正宗においては、宗祖日蓮が宗体を確立し、二祖日興が宗祖の血脈を相承し、以後三祖日目、日道、日行と順次に伝え、代々の法主に宗祖の血脈が相承されていることを伝統としている。このため、法主は、宗祖の血脈を相承しているものとして日蓮正宗における宗教上の最高権威者とされている。また、次期法主となるべき者は現法主が血脈相承という宗教上の儀式により選任することが伝統となつており、血脈相承を受けた者が現法主の退任又は遷化により新たに法主に就任するものとされてきた。
(ロ) 日蓮正宗(明治三三年九月日蓮宗興門派から独立して日蓮宗富士派となり、明治四五年日蓮正宗に改称した。)は、明治政府が、宗教団体に宗教規則の制定及び管長制を義務づけ、宗教規則、管長の就任及び管長が古来からの宗派の長の名称を称することについて認可制を採用したことに伴い、明治三三年九月、日蓮宗富士派宗制寺法を制定し、一派の統監機関として管長を置き、管長が法主と称することとし、管長就任手続としては、管長が管長候補者として大学頭を選任し、管長欠員の場合に大学頭が監督官庁の認可を得て管長の地位に就くものとし、管長が大学頭を選任しない場合は、管長候補者を選挙するものとした。
しかしながら、監督官庁の認可を受けて管長の地位に就いた者が法主と称するとの右規定は、右(イ)に記載した日蓮正宗の伝統とは異質な制度であつたので、日蓮正宗においては、当時も、管長の就任要件と法主の就任要件とは区別され、管長就任につき監督官庁の認可があつても、当然に法主としての資格が備わるわけではなく、また、法主の地位に就くわけでもなく、法主の地位に就くためには、血脈相承という宗教上の儀式を受けることが必要とされてきた。
日蓮宗富士派宗制寺法は、その後、宗制及び宗規となり、何回か改正されたが、管長が法主と称する旨の定規は、戦後、管長認可制が廃止された後も存続し、ただ、実際には、血脈相承を受けて法主に就任した者が管長に就任していた。
そして、昭和四九年八月八日、日蓮正宗における伝統を考慮して宗規が改正され、宗規一三条二項で「管長は、法主の職にある者をもつて充てる。」と定めるとともに、法主が次期の法主を選定する旨の宗規一四条二項を定め、また、管長候補者の選挙制度を廃止して「法主がやむを得ない事由により次期法主を選定することができないときは、総監、重役、能化が協議して、第二項に準じて次期法主を選定する。」との宗規一四条三項を定めた。
以上の事実を総合勘案すれば、宗規一四条二項にいう「選定」とは、血脈相承という宗教上の儀式を授けることを意味し、血脈相承を受けた者の法主就任時期は当代法主の退任又は遷化の時と解するのが相当であり、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(3) 次に、宗規一四条二項は、次期法主は原則として能化のうちから選定するものとし、「緊急やむを得ない場合」は大僧都のうちから選定することもできる旨定めているので、「緊急やむを得ない場合」か否かの判断基準が問題になる。
そこで検討するに、次期法主の選定に当つては被選定者の次期法主としての適格性の有無についての判断が当然の前提となるものであるところからすれば、右にいう「緊急やむを得ない場合」とは、能化の地位にある者よりも大僧都の地位にある者の方がより次期法主としての適格性を備えている場合をも包含するものと解すべきである。そして、宗規一四条二項が次期法主の選定を被選定者の僧階資格の点を除き法主の専権に委ねている趣旨からすれば、右「緊急やむを得ない場合」か否かの判断も法主の裁量に委ねられているものと解するのが相当である。
(四) そこで、日顕が右に認定した日蓮正宗における法主選任の手続に従つて選任されたか否かについて検討する。
(1) 日達が昭和五三年四月一五日当時日蓮正宗の法主であつたこと、その当時日顕は大僧都であつたこと及び日達が昭和五四年七月二二日遷化したことは、当事者間に争いがない。
(2) ところで、原告は、血脈相承は日蓮正宗の教義及び信仰の根幹をなすものであつて、日顕が血脈相承を受けて法主に就任したか否かは、日蓮正宗の各構成員が信仰上覚知したか否かに帰着し、世俗的な判断基準によつて判断することが不可能であり、しかも、血脈相承が秘伝であることは日蓮正宗の教義及び信仰であるから、この点からも、血脈相承の内容や存否を世俗的な判断基準によつて判断することは許されない旨主張する。
確かに、前示のとおり、日蓮正宗においては、法主は、本仏たる宗祖の内証を代々承継し、宗派を統率し、教義の解釈、裁定を行い、かつ、本尊を書写し、下付する権能を有する宗教上の最高権威者とされ、このような法主の有する宗教上の特別な力ないし権能を承継させる行為を血脈相承というのであるから、血脈相承が日蓮正宗の教義に深くかかわるものであることは否定しがたい。しかしながら、次期法主選任行為としての血脈相承は宗教上の儀式としての血脈相承を意味するのであるから、それが社会的事実としての側面を有することもまた否定しがたいところであり、このような社会的事実たる宗教上の儀式として血脈相承の存否については、裁判所は、日蓮正宗の教義の解釈に立ち入ることなく、審理、判断することが可能である。そして、このことは、宗教上の儀式としての血脈相承が秘伝であり、その具体的な内容及び方法がどのようなものであるかは、血脈相承を授ける法主とこれを受ける次期法主以外には知ることができないものであつて、これを明らかにすることができないとしても、宗教上の儀式としての血脈相承が社会的事実としての側面を有することに変わりはないから、その認定に多少困難を伴うことは否定しがたいけれども、異なるところはないものというべきである。したがつて、日蓮正宗における次期法主選任のための宗教上の儀式としての血脈相承の存否は、裁判所による審理、判断の対象になるものというべきである。
(3) <証拠>によれば、次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。
(イ) 日蓮正宗において、血脈相承という宗教上の儀式は法主が唯一人の次期法主となるべき者に対して口頭で行うものとされており、右両名以外の者の立会いは許されず、血脈相承の内容及び方法は秘密とされている。
(ロ) 日達が遷化した日である昭和五四年七月二二日午前一一時一〇分より、日蓮正宗総本山大石寺において、日顕(当時の氏名は阿部信雄であり、総監であつた。)、椎名日澄(当時重役)、早瀬日慈(能化)及び藤本栄道(当時庶務部長)の四名が出席して緊急重役会議が開催され、その席上、日顕は、日達から昭和五三年四月一五日血脈相承を授けられた旨の発表をし、他の三名は、右発表に対し異議を唱えなかつた。
そして、昭和五四年七月二二日午後七時より、総本山大石寺において、日蓮正宗のほとんどの僧侶が参加して日達の通夜が行われ、その席上、椎名日澄は、日顕が日達から血脈相承を受けていたこと及び日顕が法主に就任したことを発表し、出席者は、右発表に対し異議を唱えなかつた。また、同日付院達(日蓮正宗における達示の一種であつて、法令その他の宗務についてこれを宗内に通牒するため宗務院の名をもつて発するもの。)によつて、日達が生存中に日顕に血脈相承を授けた旨の発表がされ、更に、同年七月二三日付院達によつて、日顕が法主及び管長に就任した旨の発表がされた。
同年八月六日、総本山大石寺において、宗内の僧侶の代表が参加して日顕の御座替式(法主就任儀式)が行われ、引き続いて、総監、重役、宗会議長及び能化全員をはじめとする宗内の主だつた僧侶と信者の代表とが参加して御盃の儀(新法主の登座を祝うとともに新法主と師弟の契りを結ぶという宗教上の意義を有する儀式)が行われた。
そして、日顕は、同年八月二一日、宗内全僧侶及び信者に対し、日顕が日達より血脈相承を受け同年七月二二日第六七代の法燈を嗣ぎ管長の職についた旨の訓諭(日蓮正宗の達示の一種であつて、管長が一宗を嚮導するために発するもの。)を発した。
更に、昭和五五年四月六日及び七日の両日、総本山大石寺において、全僧侶及び多数の信者が参加して、日顕の法主就任を宗祖日蓮に奉告する儀式である御代替奉告法要が行われた。
(ハ) 日顕は、昭和五四年七月二二日以来、本尊の書写をはじめとする法主としての職務を行つてきたが、一年以上もの間何人からもそのことについて異議を唱えられたことはなかつた。
(ニ) 被告も、前記御代替奉告法要等の儀式に参加しており、一年以上もの間日顕が日達から血脈相承を受けて法主に就任したことについて異議を述べたことはなかつた。
ところで、宗教法人創価学会(以下「創価学会」という。)は、日蓮正宗の教義を信仰する宗教法人であつて、創価学会の会則上、日蓮正宗を外護するものとされているが、創価学会が急成長を遂げる中で、日蓮正宗と創価学会との間に対立が生じるようになつた。そして、創価学会の現状に批判的な僧侶は、昭和五二年ころから、創価学会を批判し、日蓮正宗の教義に従つた正しい信仰を確立することを標榜するいわゆる正信覚醒運動を行うようになり、被告も右運動に加わつた。右僧侶らは、右運動の一環として、創価学会を退会した日蓮正宗の信者を集めて、昭和五三年八月から昭和五五年一月までの間、四回にわたり全国檀徒大会と称する会を開催した。日顕も、日達が遷化した後に開催された第三回及び第四回の全国檀徒大会に法主として出席したが、その後、創価学会が反省を示していると評価して、創価学会に対する批判を止めなければならないと判断し、正信覚醒運動の中心人物らと対立するようになつた。そして、昭和五五年八月二四日宗務院の中止命令に反して第五回全国檀徒大会が開催されたので、日顕は、同年九月二四日、被告を含め第五回全国檀徒大会に関与した者二〇一人を懲戒処分に付し、右対立は激しくなつた。そこで、被告をはじめとする正信覚醒運動の参加者の代表者は、同年一二月一三日、日顕に対し、日顕が血脈相承を受けた事実の有無等を明らかにすることを求める質問状を送付し、更に、昭和五六年一月一一日、一四一名の連署で、日顕に対し、日顕に対する血脈相承はなかつたものとみなす旨及び日顕が行つた懲戒処分は無効である旨の通告状を送付し、ここに至り、初めて、日顕が血脈相承を受けていないと主張するようになつた。
以上の認定によれば、日蓮正宗において血脈相承という宗教上の儀式は、法主と唯一人の次期法主との二人だけで行われ、他の者の立会いは許されないものであるが、日顕は、日達が遷化した直後昭和五三年四月一五日日達から血脈相承を受けた旨を宗内に公表し、その後、一貫して法主として振舞い、それに対して、一年以上の間被告を含め何人からも異議を唱えられたことはなく、被告らは、昭和五六年一月一一日、初めて日顕が血脈相承を受けていない旨の主張をするようになつたが、それは、創価学会への対応について日顕と意見が対立し、日顕から懲戒処分を受けたことに対抗して行つたものであることが明らかである。そして、右事実によれば、日達が昭和五三年四月一五日日顕に対し日蓮正宗において血脈相承といわれている宗教上の儀式を授けたものと推認するのが相当であり、右推認を左右するに足りる証拠はない。
(五) 以上によれば、日顕は、昭和五三年四月一五日、当時日蓮正宗の法主であつた日達から血脈相承という宗教上の儀式により次期法主に選定され、昭和五四年七月二二日日達の遷化に伴い、法主の地位に就くとともに管長に就任したものと認めるのが相当である。
4 再抗弁3(被告が日蓮正宗の法規に違反し異説を唱えた事実)について
(一) 再抗弁3(一)の事実は、当事者間に争いがない。
(二) また、再抗弁3(二)の事実のうち、(1)及び(2)も、当事者間に争いがない。
そこで、再抗弁3(一)の被告の各所説が同3(二)(1)及び(2)の日蓮正宗の教義及び法規に反する異説であるか否かについて、以下検討する。
(1) 憲法二〇条は、信教の自由を保障し、宗教活動について国の干渉からの自由を保障している。したがつて、宗教団体の教義に関する事項については国の機関である裁判所がその内容に立ち入つて実体的な審理、判断をすることは許されないものというべく、宗教団体の内容において教義に関する事項について自治的に決定する方法が定まつている場合には、右自治的決定方法に基づく決定を尊重すべきである。
(2) そして、宗規一五条が管長は責任役員会の議決に基づいて教義に関して正否を裁定する旨定めていることは、当事者間に争いのないところ、右規定は、教義に関する正否について自治的に決定する方法を定めたものであると解するのが相当である。
そこで、右自治的決定方法に基づく決定の有無、内容について検討するに、<証拠>によれば、日顕は、昭和五六年一月一五日ころ、再抗弁3(一)(1)の被告の所説は日蓮正宗における「人法一箇」の教義及び信仰を否定するとともに「戒壇の本尊」を否定する異説である旨、再抗弁3(一)(2)の被告の所説は宗祖日蓮以来歴代法主に血脈が連続して相承されているという教義及び信仰並びに血脈相承が唯授一人、口伝及び秘伝の方法によつてされるものであるという教義を否定する異説である旨の裁定をしたこと、日蓮正宗責任役員会は、同年一月一五日、日顕の右裁定内容を確認する議決をしたこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。ところで、宗規一五条は、管長の裁定は責任役員会の議決に基づいてされることを予定しているが、それは、責任役員会の議決を要求することにより管長の裁定が慎重にされることを期したものと解されるから、責任役員会の議決は必ずしも管長の裁定に先立つてされることを要せず、事後的にこれを確認するものであつても差支えないものと解するのが相当である。そうすると、日蓮正宗は、日顕の右裁定により、被告の前記各所説が日蓮正宗の教義に反する異説である旨の自治的決定をしたものと認めることができる。
これに対し、被告は、宗規五条二項が「本宗は、左に掲げる経釈章疏を所依とする。」と定め、経典、宗祖遺文などを挙げているのであるから、管長が教義の正否を裁定する場合も、自由裁量によりできるものではなく、右経典、宗祖遺文などに従う義務があると主張する。しかしながら、教義の解釈にわたる見解の相違がある場合において、いずれの見解が日蓮正宗の所依とされる経典、宗祖遺文などに合致したものであるかは、まさに教義に関する正否の問題であり、宗規一五条は、その判断を責任役員会の議決に基づく管長の裁定に委ね、右管長の裁定に対して更に右経典、宗祖遺文などを根拠として異論を唱えることはこれを許さない趣旨であると解されるから、被告の右主張は失当である。
また、被告は、被告の前記各所説が日蓮正宗の教義に反するとしても、擯斥事由としての「異説」は、宗制及び宗規の規定する宗綱に明らかに違反し、対立する内容をもつ所説をいうものであると解すべきであり、被告の前記各所説は、擯斥事由としての「異説」には該当しない旨主張する。しかしながら、前記甲第三号証によれば、教義に反する説を唱えた事実は擯斥以外の懲戒処分事由とはされていないことが認められるから、擯斥事由としての「異説」が被告主張のような限定された意味で用いられていると解することはできない。もつとも、被告の右主張は、懲戒権の濫用をも主張する趣旨であると解されないではないが、この点については、再々抗弁の判断に際し、検討する。
(3) そして、宗規が日蓮正宗の法規であること、日蓮正宗の本尊に関する教義及び信仰が宗規二条及び同三条に表れていること並びに血脈相承に関する教義及び信仰が宗規二条及び同一四条に表れていることは、当事者間に争いがない。そうすると、日蓮正宗が管長日顕の裁定により被告の前記各所説は日蓮正宗の本尊及び血脈相承に関する教義及び信仰を否定するものである旨の自治的決定をしたことは前記認定のとおりであるから、被告の前記各所説は、日蓮正宗の右各法規に違反したものであるということができる。
5 再抗弁4(被告が訓戒を受けても改めなかつた事実)について
再抗弁4の事実中、日蓮正宗責任役員会が昭和五六年一月一五日再抗弁3(一)の被告の各所説についてそれが日蓮正宗の法規に違反し、異説を唱えるものであるので宗務院から被告に対して訓戒をする旨を議決したことは、前記甲第八号証によりこれを認めることができ、その余は、当事者間に争いがない。
6 再抗弁5(本件懲戒処分)について
<証拠>を総合すれば、宗務院総監藤本栄道が被告の擯斥事由につき事実の審査をしたこと、参議会が昭和五六年一月二九日被告が前記のとおり日蓮正宗の法規に違反して異説を唱え、訓戒を受けても改めなかつたことを処分事由として被告を擯斥処分に付する件について審議して可決し、そのことを日顕に答申したこと、責任役員会が同年二月三日被告を擯斥処分に付する旨の議決をしたこと、そこで、日顕は、被告を擯斥処分に付することを裁可し、同年二月九日、その旨の宣告書を作成し、これを被告に送付したことを認めることができ、被告が同年二月一〇日右宣告書の送付を受けたことは、当事者間に争いがない。
7 以上1ないし6にみてきたところによれば、被告は、日蓮正宗の法規に違反し、異説を唱え、訓戒を受けても改めず、そのため、日蓮正宗の管長である日顕は、日蓮正宗における懲戒処分に関する規定で定めている手続に従つて、被告を擯斥処分に付した事実を認めることができる。
三そこで、再々抗弁(懲戒権の濫用)について検討する。
1 被告は、まず、本件懲戒処分は、被告が昭和五六年一月二一日静岡地方裁判所に対し日顕及び日蓮正宗を被告として代表役員等地位不存在確認請求訴訟を提起したことに対する報復措置としてされたものである旨主張する。
そして、<証拠>によれば、被告が昭和五六年一月二一日静岡地方裁判所に対し日顕及び日蓮正宗を被告として代表役員等地位不存在確認請求訴訟を提起した事実を認めることができる。
しかしながら、日蓮正宗責任役員会が右訴訟提起の日の前である同年一月一五日に既に被告の前記各所説についてそれが日蓮正宗の法規に違反し異説を唱えるものであるので宗務院から被告に対して訓戒をする旨を議決していることは、前記二5で認定したとおりであり、また、<証拠>によれば、宗務院総監藤本栄道が再抗弁4記載の「訓戒」と題する書面(甲第九号証)を被告に発送したのも右訴訟提起の日の前である同年一月一九日であつたことを認めることができる。
そして、右の事実によれば、日蓮正宗は、被告の右訴訟提起前から被告の前記各所説は日蓮正宗の法規に違反し異説を唱えるものであるとして擯斥処分の要件である訓戒の手続を進めていたことになるから、本件懲戒処分を被告の右訴訟提起に対する報復措置としてされたものとみるのは相当でないものというべきである。そして、他に本件懲戒処分が被告の右訴訟提起に対する報復措置としてされたものと認めるに足りる証拠はない。
なお、前記二3(四)で認定したとおり、被告は、創価学会への対応について日顕と意見が対立し、昭和五六年一月一一日、日顕に対し、日顕は血脈相承を受けていなかつたものみなす旨の通告状を送付しており、この事実と<証拠>とを総合すれば、被告が右通告状を送付したことが本件懲戒処分の原因の一つになつたものと推認することができる。しかしながら、前記認定のとおり、日蓮正宗においては、法主は宗祖日蓮の血脈を相承するものとして宗教上の最高権威者とされているのであり、被告が日顕に対して右通告状を送付して日蓮正宗の法主である日顕の地位をあからさまに否定する行動に出たことは、日蓮正宗としてなおざりにできない問題であるというべきであるから、被告の右通告状の送付が本件懲戒処分の原因の一つになつていたからといつて、直ちに本件懲戒処分を懲戒権の濫用であるということもできない。
2 次いで、被告は、再抗弁3(一)記載の各所説を発表してから本件懲戒処分を受けるまでの間、日蓮正宗から一度の事情聴取もされず、再抗弁4記載の「答弁書」と題する書面によつて求めた話合いの要求も無視された旨主張する。
そして、右事実は、<証拠>により、これを認めることができる。
しかしながら、<証拠>によれば、日蓮正宗において、懲戒処分に際し被処分者の事情聴取をする旨の規定は存在しないこと、宗制三二条は懲戒処分につき異議の申立てを調査し、裁決する機関として監正会を置く旨定め、宗規二二条ないし三九条及び三九条の二は監正会の組織及び運営について定め、宗規二五五条は懲戒に処せられた者がその処分を不服とするときはその理由書を添えて監正会長に異議を申し立てることができる旨定めていること、以上の事実を認めることができ、しかも、前記認定のとおり、本件懲戒処分は、被告が日蓮正宗の法規に違反し、異説を唱えただけではなく、訓戒を受けても改めなかつたためにされたものである。そして、右の事実を総合勘案すれば、被告が本件懲戒処分までに一度の事情聴取もされず、話合いの要求も無視されたからといつて、直ちに本件懲戒処分が懲戒権の濫用にあたるということはできず、右判断を左右するに足りる証拠はない。
3 ところで、被告は、原告の再抗弁3(二)冒頭部分の主張に対し、擯斥は、他の懲戒処分と異なり、僧籍を削除するものであつて、被処分者の生活権をも脅かす重大な処分であるから、擯斥事由としての「異説」は、宗制及び宗規の規定する宗綱に明らかに違反し、対立する内容をもつ所説をいうものと解すべきであり、被告の前記各所説は、日蓮正宗の宗綱を是認したうえでの議論であつて、擯斥事由としての「異説」には該当しない旨主張する。そして、被告の右主張は、本件懲戒処分は過酷にすぎ懲戒権の濫用にあたる旨の主張をも含むものと解しえないではない。
そこで検討するに、宗教団体は、教義の同一性を基礎として存立する団体であるから、教義をめぐる宗教団体内の争いは、当該宗教団体の存立を危うくするおそれのあるものであつて、教義に反する異説を唱えることは宗教団体内部における規律違反の中でも最も重大な規律違反であるということができる。日蓮正宗において宗規が法規に違反し、異説を唱え、訓戒を受けても改めないことを擯斥事由としているのも、右の点を考慮したものと解することができる。そうすると、日蓮正宗の教義に反する異説を唱えた者を擯斥処分に付するか否かについて、懲戒権者に広範な裁量権が認められているものというべきである。そして、被告は、日蓮正宗の法規に違反し、異説を唱えただけではなく被告の所説が異説であるのでこれを改めるよう訓戒を受けても改めなかつたというのである。
以上の点を総合勘案すれば、本件懲戒処分をもつて懲戒権の濫用にあたるとみることはできず、右判断を左右するに足りる証拠はない。
4 そして、右1ないし3の諸事情を総合しても、本件懲戒処分が懲戒権の濫用にあたるものと認めることはできないから、結局、再々抗弁は、理由がない。
四以上認定説示してきたところによれば、被告は、本件懲戒処分により、日蓮正宗の僧侶の地位を喪失したものと認めることができる。そして、蓮華寺規則九条一項が「代表役員の任期はこの寺院の住職の在職中とする。」と定めていること及び原告寺院の住職であるためには、日蓮正宗の僧侶でなければならないことは、当事者間に争いがないから、被告は、日蓮正宗の僧侶の地位を喪失したことにより、原告寺院の住職たる地位を喪失し、それに伴い原告の代表役員たる地位をも喪失したものと認めるのが相当である。
したがつて、被告は、本件建物の占有権原を喪失したものというべきである。
第二第二事件関係
一請求原因1ないし4の事実は、当事者間に争いがない。
二しかしながら、被告が本件懲戒処分により日蓮正宗の僧侶の地位を喪失し、そのため、原告寺院の住職たる地位を喪失するとともに原告の代表役員たる地位をも喪失したものと認められることは、第一事件において既に説示したとおりである。そして、<証拠>によれば、原告の代表役員である責任役員の任期は、代表役員の任期と同じであることが認められるから、被告は、原告の代表役員たる地位を喪失したことにより責任役員たる地位も喪失したものと認めることができる。
第三結論
以上検討してきたところによれば、原告の第一事件の請求は理由があるからこれを認容し、被告の第二事件の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、第一事件についての仮執行宣言の申立ては相当でないからこれを却下し、主文のとおり判決する。
(石井健吾 平澤雄二 森一岳)
物件目録<省略>